083開業秘話① ホテルを「都市の広場」に変えた、京王プラザホテル

2022.1.14 Fri.

ホテルといえばまだまだ限られた方が特別な日に利用するもの、あるいは旅行者のための宿泊施設という考えが主流だった1970年代、京王プラザホテルは「幅広いお客様が集い憩う広場(プラザ)」として、新しいホテルのあり方を提唱した初めてのホテルでした。

東京オリンピック開催や大型ジェット機の就航など国際化が加速し世の中が大きく転換していった1960年代、東京都は新時代のモデル都市をつくることを目的とした新宿駅西側の「新宿副都心計画」を発表。初代社長の井上定雄はこの再開発構想を受け、靴を泥だらけにしながら一面ススキ野原の淀橋浄水場跡地を歩き回り、新しく創り上げていく街の将来像を模索し続けたといいます。そして世界の都市の発展には必ず「広場=人々が集まるコミュニケーションの場」があることからホテルを「広場」として機能させ、街全体を活気あふれるものにしようとする理念を掲げたのです。

1971年6月5日、『心ひらくコミュニケーション広場(プラザ)』と題した京王プラザホテル開業日の新聞広告や開業誌には、「広場ほど自由になれる場所はない(画家 岡本太郎氏)」、「今まで“みんなの場”がなかった街に、はじめて“みんなの場”ができた(音楽家 團 伊玖磨氏)」*など、かつてない「広場(プラザ)」を冠したホテルへの期待を込めた言葉が、多くの著名人から寄せられました。

「生き生きとしたヒューマンスペースの創造」を開業の精神として掲げ、年齢、国籍、人種を問わず、さまざまな人たちが行き交う出会いと集いの広場を目指してきた京王プラザホテル。基本理念として大切に受け継がれてきたこの「プラザ思想」は、開業から半世紀を経た今も変わることのない、私たちのおもてなしの根幹です。

*出典:「KEIO PLAZA HOTEL TOKYO 1971」(1971年6月1日発行)