喜多流能楽師 大島輝久 喜多流能楽師 大島輝久

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「静けさのなかに生のエネルギーを感じる舞台。意味を追うより場を楽しんで」

喜多流能楽師
  大島輝久 

室町時代から600年以上続く、日本の伝統芸能「能」。
一見難解なイメージですが、日常にはないゆっくりとしたリズムで進む舞台やこの世のものならぬ登場人物、ミステリアスな能面、美しい能装束など、能独自の世界観や魅力を知れば、現代に生きる私たちも、もっと身近に親しめるはず。
そこで、10月のイベントで実演をご披露いただく喜多流能楽師の大島輝久さんに、奥深くて面白い「能」の味わい方についてお話を伺いました。

実はとても表情豊かな「能面」。
一瞬の動きに、喜怒哀楽があふれだす

能面

― 「能」は、能面と呼ばれる仮面をつけて演じられる、現存する世界最古の芸能のひとつとして知られています。今日は実際に舞台でお使いの能面をお持ちいただきました。

私たちは「面(オモテ)」と言いますが、主役(シテ)が役柄に応じてこの能面をつけて演じます。
これは未婚の、今でいえば十代の半ばから後半の女性の役につける代表的な「小面(こおもて)」という面ですが、「能」での主役は人間だけでなく神様や幽霊、鬼など人ならざる異界のものが多いのが特徴です。
よく無表情の例えを「能面のような顔」ということがありますが、実は私たち能楽師はあの表現をあまり好んではいないのです。たしかに木彫りの面ですから表情が変わるということは現実的にはないのですが、なんとなく笑っているようにも泣いているようにも見える。つまり人間の喜怒哀楽のすべてがつまった中間的な表情だと私たちは考えていて、この能面を使えばすべての感情を表現できると信じて使っているのです。

― その感情の変化はどのようにつけるのですか?

動かさずにいることで動きを生かす、とでも言いましょうか。私たち役者にとって演技の間、基本的な面の角度をずっと保ち、能面がぶれないような歩行=運びを身につけるのが最も重要な技術なのです。そして感情が動いた瞬間、ほんの少しだけ角度を俯けると能面のなかにある憂いの感情がふわっと前面に出てきますし、またほんの少しだけ上に向けると喜びの表情が前面に出てくる。
たったこれだけの変化にものすごいエネルギーと意識を集中して能面を動かすのです。
ほとんど動かさないからこそ、一瞬能面の角度が変わった時にすべての表現がそこに集約されるというのが、能の演技の目指すところだと思います。

描かれるのは人間の普遍的な情や業。
だからいつの時代にも古びない

喜多流能楽師 大島輝久

― 「能」で描かれているのは、どんなテーマが多いのでしょうか?

生きること、生きていることの喜び、こういうものを「祝言(しゅうげん)」と言いますが、人間が生きるということがとても大変だった時代に、自分が今、この世に生きていられるということを喜ぶこと、そしてそれを神や仏に対して感謝をすることが「能」ではとても大きなテーマなのです。
ここを中心にして一方で人間の悲しみを描くのですが、戦で亡くなった人たちの無念であったり、あるいは生き別れになった子供を探す切なさであったり、人を恨む気持ちとか、そういった人間が生きていく限り持たざるを得ない負の感情もまた、テーマの一つになっています。
このように、喜びであれ、悲しみであれ、人生の普遍的なものを描くのですから、何百年が経っても、いつの時代にも、テーマが古びないというのが「能」の根本にあるのではないかと思います。
そして「能」は亡くなった人の目線に立って、亡くなった人の世界から現在を見つめている芸能ともいえるのです。とくに世阿弥が作り出した「夢幻能」は死者が主人公で、何十年、何百年前に亡くなった方(シテ)が現代に生きるお坊さん(ワキ)の前に現れるという構造を持っており、観客はシテを通してあちらの世界を垣間見、その抱える思いを聴く・観るということになるのです。

― どんな曲目にも、「祝言」=生きる喜びが描かれているのでしょうか?

たとえば生き別れになった子供を探して旅をする「狂女もの」といわれるなかに、「能」の中でも一番の悲劇といわれる『隅田川』という曲目があります。ほとんどの「狂女もの」の曲が最後には子供に出会えてハッピーエンドになりますが、『隅田川』だけは、子供の消息を知った時には既に子供が死んでしまっています。その一周忌の弔いをするなかに母親が辿り着き、子供の幽霊に会えるものの抱きしめることは叶わず、そこにはぼうぼうと伸びた春の草むらがあるばかり……という情景なのですが、最後は朝日が昇ってきたところで曲が終わるのです。
こんな極限の悲しみのなかでも明日という日は来るし、残されたものは生きる、というある種の「祝言」なのですね。狂おしく子を思う母親を描きながらも、最後には「祝言」=生きることへの希望を見せるのです。
このとき、母親の深い悲しみを感じるのは観客の役割です。役者は泣くことを表す「シオリ」という簡素な型を手で表現するだけです。それ以上リアルに表現すると、「能」という演劇ではなくなる。
つまり役者はあくまでも人の悲しみを受け止めて、自分を通してその悲しみを増幅させてもらう“装置”にならないといけない。自分が悲しんでいてはダメなのです。
それがこの600年間で洗練され、無駄なものをそぎ落としてそぎ落として受け継がれてきた「能」の様式であり、自分がその“装置”になるということに能楽師は専念するのだと思います。

「能」と時間を共有する充足感。
言葉の意味を追うよりも、感性で楽しんで

喜多流能楽師 大島輝久

― 今の時代に、私たちが「能」を観る、触れることの意味は何だと思われますか?

本当に人それぞれだとは思うのですが、「能」のもつテーマを通して観客の方は最終的には自分と対話するのだと思います。自分を見つめ直すといいますか、その曲の悲しみや美しさの何に自分は心を動かされ、共感したのだろうということですね。
「素晴らしい能は、観終わったあと2日後が面白い」という言葉があるのですが、何度もあれは何だったのだろうと、自分自身のなかの感性や過去の体験など色々なものを思い起こして、印象に残った場面や共感したところと擦り合わせていくのです。そして、あれはこういうことだったのかなと、自身と対話を重ねて満たされていく。そういう楽しみ方をしていただけると、それはもう一番素晴らしいと思います。

― 「能」によって満たされ、癒されるというのはとても魅力的ですね。

今は何でもわかりやすいことが良いとされる時代だと思いますし、それを否定するものではないのですが、わかりやすいということは極論するとどんどん消費されていくことではないかと。
ちょっと立ち止まって考えたり自分を見つめるということは、その人自身に負担もかかりますが、簡単に消費できないということはその1回が体験としてしっかり残る、一生の財産になるのだろうと思います。
「能」が難しいと感じられる原因の8割は、実は言葉の内容です。日本人は特に、日本語なのに理解できないというストレスになってしまうのです。言葉を除くと「能」は本質的にはものすごくシンプルです。筋書きはその曲に入っていくための手がかりのようなものですので、大まかな流れだけを知っていただければ、あまり細部にこだわらず、筋や言葉の意味を追うというよりもテーマへの共感やクライマックスに向かう舞台のエネルギーのようなものを感じて、空間も含めた雰囲気を自由に味わって楽しんでいただければと思います。

― 本館3階のアートロビーで10月に行われるイベントは、どのようなテーマで準備を進めていらっしゃるのですか?

「能」初心者の方も気軽に楽しんでいただけるよう、能面や能装束など実際に舞台で使用しているものの展示や舞台写真の展示、曲の一場面の実演などをご覧になっていただく予定です。
能面は、今日お持ちした「小面」をはじめ、怒りだけではなく鬼と化した女性の悲しみをも感じる「般若」など、多面的な感情(表情)を内封した数々の面のパワーや緻密な技を、間近に感じ取っていただける機会になればと思っています。また、海外のお客様に向けて英語での解説にも力を入れる予定でおります。

― ホテルというオープンな場所で「能」のもつ美しさや迫力に身近に親しむことができるのは、とても楽しみですね。私どもも気軽に立ち寄っていただく感覚で、現代人の心にも響く「能」の多彩な魅力を、国内外の多くのお客様に感じていただくお手伝いができればと思っております。

喜多流能楽師 大島輝久 Teruhisa Oshima

大島輝久 Teruhisa Oshima

能楽シテ方喜多流職分。
1976年広島県福山市生まれ。
重要無形文化財総合指定保持者。
能楽喜多流大島家五代目。
3歳のとき仕舞「猩々」にて初舞台。
これまでに「猩々乱」「道成寺」「石橋」「翁」「望月」などの大曲を披く。
アメリカ、ヨーロッパ、アジア諸国など海外公演にも多数参加。
近年では能を全編英語で演じる英語能、能の台詞を手話で表現する手話能、最先端の映像技術を使用したVR能・3D能といった画期的な公演への出演、および企画制作を担当するなど、能の新たな可能性を探る活動も積極的に行っている。

能面「小面(こおもて)」

▲ 能面「小面(こおもて)」

能面「小面(こおもて)」
女性の顔に使う代表的な能面「小面(こおもて)」。
角度にして2〜3°のほんのわずかな動きで、喜怒哀楽を表現する。

能楽堂舞台

▲ 能楽堂舞台

能楽堂舞台
屋根がついている舞台は、もともと野外で上演されていた名残り。
「鏡板」と呼ばれる背景には神様の依代である常緑の松が描かれており、神仏に守られて能を舞うという舞台装置になっている。
人物が登場する橋掛リは単なる通路ではなく、幕の奥を幽界、本舞台を現世と位置付け、この世とあの世をつなぐものという意味ももつ。

「能」用語集

「シテ」 主役。人間の他、幽霊や鬼などこの世ならざるものを演じるときには能面をつける。
「ワキ」 その相手役で、旅の僧などこの世で実際に生きている大人の男性を能面はつけずに演じるのが決まり事。
「構え(かまえ)」 静止した状態。動く彫刻とも言われる「能」の基本動作。
「運び(はこび)」 足の動き。
「能装束
(のうしょうぞく)」
「能」に使われる衣装のこと。色による決まり事など役柄によっていくつかのルールがあり、その約束事を知っていれば年齢や性別、身分、性格などを知ることができる。