KEIO PLAZA HOTEL TOKYO
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プラザストーリー

プラザストーリー

ずっと輝かしい場所

ペンネーム:ゆきゆき

20年前京王プラザホテル新宿である男性と出会いました。
ロビーのキラキラのシャンデリア、ピカピカの床、豪華なお花、どこも素晴らしく輝いていたので初対面のその男性も同じくらい輝いて見えました。
そしてその男性と結婚をし、毎年京王プラザホテルで出会った記念日にお祝いをするのが楽しいイベントとなりました。
夫は残念ながら亡くなってしまいましたが、夫に会いたくなるといつもこのロビーに来て沢山の思い出に浸り 慰められ、そして今は楽しみになりました。
これからもずっと変わらず私のそばに輝かしい京王プラザホテルと夫が寄り添ってくれますように。

奇跡の花束

ペンネーム:シェーブアイス

私と主人は京王プラザホテルで結婚式を挙げました。結婚式当日は雨でした。夢だったカリヨンの鐘を鳴らすこと、広い空の下でブーケトスを投げることが出来ませんでした。メイクをして頂く時も、ウェディングドレスを着る時も、お色直しの着付けをして頂く時も、私の頭の中は「夢が叶わない結婚式…」っとマイナスばかり。知人から「雨降って地固まる」とメールとLINEは頂いても納得出来ず。がっかりした私に披露宴で司会をしてくださった方が本当に色々考えてくださいました。ブーケトスを投げたかったと話したらよく耳を傾けてくださり、雨の日だから出来る結婚式があることを教えてくださいました。司会のSさんの提案で披露宴でブーケトスをする事になりました。頑固な私の頭の中は「雨…」のままでしたがお色直しも終わりブーケトスの時間になりました。披露宴出席者で「老若男女問わず夢を叶えたい全ての人」にブーケトスを受け取れるやり方に変えブーケを投げる時間が来ました。ブーケを投げるカウントダウンに入り、後ろをチラッと見ましたが誰の所に飛ぶかは自然に任せました。少しだけドキドキしながらなるべく高く長く飛ぶように投げたのを覚えています。そしたら当時独身だった私の姉の所に私の投げたブーケが飛んで来ました。私の結婚式で一番ブーケを受け取ってほしい人の所に飛びました。その時司会の方、結婚式の担当の方、他のスタッフさんも大喜びしてくださいました。ブーケトスは嘘をつきませんでした。姉は約1年後私達と同じく「京王プラザホテル」で結婚式を挙げ幸せいっぱいです。夢が叶う結婚式をいつまでもあげられる京王プラザホテルでありますように。

青春時代から初老までお世話になっております。

ペンネーム:ツッチー

開業したばかりの京王プラザホテル様に初めて訪れてから50年の歳月が経ったとは夢のようです。当時多摩地区の企業の秘書だった私は同僚4人と開業したばかりの京王プラザホテル様に秘書課長に連れられて行った事を鮮明に記憶しております。周りには未だ高層の建物が無く、洗練されたおしゃれな館内に私は強烈な印象を受けました。その後、27年前に会社近くの八王子店が開業されてからは仕事の色々な場面で大変お世話になりました。定年退職後は自由を満喫すべく気の合う仲間たちと新宿店に伺い至福の時間を過ごさせていただいております。
大好きな京王プラザホテル様に永く通えるように、健康で過ごして参りたいと思います。京王プラザホテル様の益々のご繁栄を祈念申し上げます。

大切な思い出

ペンネーム:たばママ

私が生まれて初めて宿泊したのは出来てまもないころの京王プラザホテルでした。当時今は亡き父が東京に単身赴任中で夏休みを利用して母と妹と3人で新幹線で上京したのです。素敵な制服を着た方々のとてもスマートな動きもフルコースディナーも綺麗にベッドメイキングされた高層階のお部屋も初めて尽くしのホテル体験でした。本当に夢のような3日間でした。何より久しぶりに家族4人で過ごせたのがまだ6歳だった私には本当に嬉しかったのです。今までもその気持ちはいつでも京王プラザホテルと共に甦ります。
私の見た景色を息子にも見せたくて上京時は必ず京王プラザホテルに宿泊しています。いつ伺っても当時の私や大好きな父に会える気がするんです。本当に大好きな思い出一杯の京王プラザホテル!これからもずっと私や家族にとって大切な場所です。

無記入

ペンネーム:無記名

Keio Plaza is a great hotel with outstanding service quality, every staff member was very friendly and doing their best. That's why when traveling to Shinjuku, staying in Keio Plaza is my priority choice of hotel.
Apart from the super hospitality, the bedding was firm in the room, just a great home felt. Moreover, I'm most impressive with the breakfast buffet when compared it with other 5-star hotels nearby. Not only there were various kind of food but also the taste of food was just gorgeous and you will not feel boring with it even you stay for a week and have it daily. Furthermore, how am I suppose to forget the impeccable executive lounge experience,probably just another reason to come back and enjoy.
If COVID 19 could be under good control, I definitely will travel to Japan at once and surely will stay in Keio and enjoy the breakfast buffet again. Frankly, I always recommend Keio to anyone I know, who is planning on visiting Japan.
Congratulations to Keio Plaza Hotel 50th Anniversary!

家族の絆と京王プラザホテル

ペンネーム:おとん

私の父は華やかな宴会の裏方の調理人として、ホテル誕生から定年までお世話になりました。開業前には家族を招いたお披露目のレセプションがあり、広大な淀橋浄水場跡地に最初に建設された真っ白な日本初の超高層ホテルを見上げ、「すごいなぁ、高いなぁ、上層階の調理場で仕事していて大丈夫なのかなぁ」と子供心に心配もしました。開業後暫くしてからの職場見学時に地震があり、揺れと共に出来上がった料理が乗ったワゴンが滑り出し料理は無残な姿に、そして父の罵声と共に追い返された思い出があります。父の職人魂を感じた時でした。その後、私と妹、従妹、そして今春、コロナ過の延期を経験した息子の婚礼を親子二代にわたり挙げることが出来ました。もちろんその他の祝い事などにも利用させて頂いております。
まだまだ元気な92歳になるボス(父)と家族が集い、絆の深まる感慨深いホテルなのであります。

無記入

ペンネーム:無記名

新宿駅西口からの動く歩道を、わざと歩かずにゆっくりと進む。少しでもホテルに着く時間を延ばして、ワクワク感を味わいたいから。初めて訪れたのは’80/12月の野口五郎クリスマスディナーショー。それから毎年4人の仲間と最高に着飾って、近っ!という五郎に、あわよくば…などと妄想しながら、通いつづけたものです。ディナーショー後のホテルの部屋での夜を徹した女子会。今も続く4人の仲間との独身時代の最高に楽しい思い出です。結婚式場も迷わず京王プラザを選択!あこがれの挙式、披露宴、結婚10年、20年、30年のお祝い、こどもたちの合格祝い、クリスマスイルミネーションナイトetc.社会人になったこどもたちが、今もイルミネーションナイトの楽しかった思い出を話します。またやりたい!と。我が家の歴史は、京王プラザと共にあります。永遠にそこにずっといてください。わたしたちの夢の場所です。また行きます♥

best hotel around Shinjuku

ペンネーム:charles

Keio Plaza Shinjuku hotel is a luxurious hotel which situated in Shinjuku, near subway station and many shops, cafes, restaurants around it. very comfy hotel with excellent hospitality and service.
looking forward to visit again after the pandemic.

see you soon

京王プラザHと私

ペンネーム:京プラファン

京王プラザホテル(新宿)が50周年と聞いて、思わずペンを走らせました。
私と京王プラザの出会いは京王プラザが出来て間もなく、父と一緒に オーロララウンジでいただいたCake Set(ジャーマンチーズケーキとコーヒー)でした、私は学生でした。オーロララウンジから見る外の景色は、前にさえぎるものが何もなく、それはもうおどろくばかりの景色でした。
それから間もなく社会人になった私は、あししげく京王プラザに通いました。初めてのデートにはオーロララウンジ、それからシェフ・ハット(現:グラスコート)、樹林とつなぎ、現在の妻と ほとんど毎週 プラザを使いました、ポピンズでは しばしばアイスクリームをテークアウトしました。
プラザで味わう「ジャーマンチーズCake」、「コーヒー」、「クリームコーンスープ」は、今でも いただきます。
話は前後しますが、京王プラザ札幌にも記念日に2回、京王プラザ多摩にもちょくちょく行ってます。

以上、欄筆乱文ごようしゃ願います、
最後に、これからも変わらぬサービスと味をよろしくお願いいたします。

思い出の記念メダル

ペンネーム:あの日の展望台

S47 11 5 とメダルの裏には刻印があります。4歳の自分が初めての東京旅行で宿泊したのが京王プラザホテルでした。その時、当時はあった47階の展望台に行き、親に買ってもらった記念メダルの裏に日付と名前を刻印したのです。それが昭和47年11月5日でした。
当時の京王プラザホテルの印象は、宿泊客に外国人が多かったこと。またロビーが斬新なデザインで日本旅館しか知らなかった子供の自分には驚きでした。夕食はビッフェでいただきましたが、レストラン内の色彩の紺色と黄色が印象に残っています。料理はおいしかったはずですが、残念ながら幼い自分の口には合わず、紅茶とスパゲッティだけを美味しくいただいた記憶があります。
その後2年後の家族旅行、そして大学受験で宿泊の機会がありましたが、それ以降、自分が東京近郊に住んでいることもあり30年間以上宿泊する機会はありませんでした。しかし今年の早春にふと思い立ち宿泊してみることにしました。
もう、展望台はありませんでしたが、45階のラウンジから眺めは都庁が建って少し変わった以外は4歳の自分が見た光景と同じはずと思いました。これからも機会を見つけて宿泊してみたいと思っています。私にとって京王プラザホテルはいつまでも子供の頃からの憧れのホテルです。

京王で育った二人が京王プラザホテルで結婚した話

ペンネーム:かわうそ課長

1990年代後半、大学生だった私は京王プラザホテルで配膳のアルバイトをしていました。先輩に鍛えられ、仕事を覚えていった私は主として高層階の宴会場を担当するようになり、忙しい日は日に2回の披露宴を担当して充実したアルバイト生活を送りました。
一方、若き日の私の妻は系列のプレッソインホテルに入職し、新店舗のオープニングスタッフをしたりしていました。その後、私たちは出会い、結婚。結婚式の会場を探した時、二人で最初に見学に行こうと決めたのは京王プラザホテルでした。
足を踏み入れてみると懐かしい雰囲気に包まれ、妻の旧知のスタッフさんもいらして、これも御縁だと思い、結婚式を京王プラザホテルですることに決めました。結婚式当日、20年前にスタッフをしていた宴会場で高砂に座った時、なんとも言えない凱旋感に包まれたのを覚えています。
翌年から結婚式記念日には宿泊したり、レストランで食事をするなど、私たち夫婦の大切な場所になっています。これからもよろしくお願いします。

母への誕生日プレゼント

ペンネーム:無記名

83歳の母への誕生日プレゼントに、奮発してプレミアグランスイートルーム宿泊を予約しました。
「だって京王だから!」と当日母は目一杯のおしゃれをし、クラブラウンジからの素晴らしい夜景と豪華な非日常の雰囲気を満喫している様子にまた来年もプレゼントするから一緒に来ようね、と約束をしました。
残念ながらそれは叶う事なく昨年末母は旅立ってしまいましたが、クラブラウンジは母の輝く笑顔が溢れる大切な思い出の場所となりました。

文章の神様の降りてくる場所

ペンネーム:入部明子

私は本の原稿や論文など、文章を書くことに行き詰まると、必ず京王プラザホテル新宿に泊ることにしています。なぜなら、文章の神様がホテルに居るからです。そのことに気づいたのは、意外なことからでした。息子が新宿にある中学校を受験するために、最寄りであった京王プラザホテル新宿に息子と一緒に前泊しました。小論文の試験があるというので、文章の書き方をあわてて10分ほど教え文章を書かせてみると、しっかりと書けていたので驚きました。息子に尋ねると「文章の神様が降りてきた」というのです。その言葉が耳に残り、今度は私一人で泊まって文章を書いてみました。すると、確かにどんどん文字が降りてくる感じがして、一晩で一冊分の原稿が仕上がったこともありました。もちろん神様の力だけではありません。真夜中にルームサービスで珈琲を届けてくださる京王プラザホテル新宿のスタッフの方の笑顔にもどんなに励まされたか知れません。以来、15年間で10冊近くの本の原稿を京王プラザホテル新宿で完成させました。私にとって京王プラザホテル新宿は「文章の神様が降りてくる場所」なのです。

  

生まれ変わってももう一度

ペンネーム:kk

2016年にコンコードボールルームで、披露宴をおこないました。
披露宴までの準備期間や本番では、たくさんのスタッフと接する機会があり、そのときのスタッフの皆さんのおもてなしの心と優しさが、今でも忘れられません。
スタッフの皆さんの優しさにふれ、披露宴当日は、本当に京王プラザホテルを披露宴会場に選んでよかったと思いました。
生まれ変わっても、もう一度結婚式は京王プラザホテルで!
50周年の節目に、私の親友も同じコンコードボールルームで披露宴を行うことになり、今度はブライズメイドとして披露宴に参加します。またひとつ、京王プラザホテルでの思い出が増えそうです。

憧れのホテル

ペンネーム:はなちゃん

子供の頃、週末に家族でお出かけするのはいつも新宿のデパートでした。中学生になり、人気刑事ドラマのタイトルと共に映る西新宿の高層ビルにワクワクしたものです。長じて結婚することになり、仲人さん宅にご挨拶に伺った時「結婚式の当日は憧れの京王プラザホテルに泊まりたい」というお話をすると「ちょうどいいわ、これ使って」と宿泊割引券を頂き、挙式の日、憧れの貴ホテルに宿泊することが出来ました。予約時に宿泊の目的をお話しすると、当日フロントで「当ホテルからのお祝いです」とペアのスプーンを頂きました。とても嬉しくてそのスプーンは今も大事にしまってあります。京王プラザホテルは私にとって大事な思い出の場所となりました。

  

産地の強い味方 京王プラザホテル

ペンネーム:山形県高畠町役場 深瀬吉弘

京王プラザホテルと高畠町とのつながりは、平成7年まで遡ります。町の記念事業として当町の代表的な農産物の一つであるラ・フランスを使用したスイーツコンテストの審査委員長を当時の緑川総料理長にお願いをしたことが縁です。以来、四半世紀にわたり、毎年11月には当町のラ・フランスを使用したデザートフェアを開催していただき、ホテルの定番フルーツとしてご愛顧をいただいております。
当時はホテル内で即売会を開いたり、シャーベットの作り方まで教えていただくなど、ホテルスタッフの方々が一丸となって、当町のラ・フランスを応援していただいたことが本当に懐かしいです。
現在は、市川総料理長に当町の食品加工産業の振興や食育の推進、ホテル若手料理人の研修先として、当町のまちづくり全般に対しましてお力添いをいただいております。

「生産者の思いも料理を通じて、お客様へ」

産地や生産者を大切にするホテルプライド。ホテルスタッフの方々との長いお付合いの中で、いつも感じる私たち産地への熱いメッセージです。

初めて子供と一緒に

ペンネーム:やーまん

子供が産まれてからずっと落ち着いて外食なんて出来ませんでした。知人からスーパーブッフェの話を聞いて、初めて家族で遠出をしてスーパーブッフェを利用しました。スタッフの気配りも最高で、子供に優しい良い席に案内してもらい初めてゆっくりと外で食事が出来ました。メニューの数も多いので、子供が食べられるものが多く、安心して取り分ける事ができました。育児で色々と疲れていた時期だったので本当に救われました。短文になりますが、ありがとうございました。

心配ご無用

ペンネーム:無記名

北海道の片田舎に住んでいる私に届いた親友からの結婚招待状。高級ホテルの京王プラザ?どうしましょう?どうやって行くの?何を着ていけばいい?食事は?田舎者ってわかるかな?何か月も前から悩みに悩んで連絡船に乗船。ホテル到着後はドアマンの素晴らしい笑顔とスタッフのおもてなしで心配ご無用、素晴らしいひと時を過ごしたことは言うまでもありません。開業50周年おめでとうございます。

憧れの新宿京王プラザホテル

ペンネーム:なっつん

私は、東京の大学受験の時、全ての宿泊を京王プラザホテルにお任せしました。初めての東京新宿、壮大なスケールのホテルはまさに私の人生観を変えてくれたホテルです。早くコロナが終わってまた両親連れて伺います。よろしくです。

入籍前夜祭

ペンネーム:MT

子供の頃から両親によく連れてきてもらった思い出の京王プラザホテル。中でも特にお気に入りだったのが、今はなきポールスターです。リクエストに応じて作ってもらうオリジナルカクテルがいつも美味しく、家族みんなのお気に入りでした。
入籍前夜、そんな思い出のお店に私と夫を誘ってくれたのはやっぱり両親。その日はちょうど大型台風が近づいてきていましたが、そんなことは物ともせず、2人の新しい門出を祝ってくれました。
翌朝、台風一過の爽やかな青空の下、私たちは婚姻届を提出しに行き、晴れて夫婦となりました。

癌から5年

ペンネーム:トンカツ

乳がんの手術をした私と同じ病院で同じころ乳がんの手術をした三人がその後も病院で治療を同じ日にして友好を温め無事五年経つた時京王プラザホテルで豪華な食事をしました。5年経つのを1日千秋の祈るような気持ちで待っていたのでとても嬉しかったです。
その後もいろいろなことに京王プラザホテルを利用させて頂きました。手術をしたのは20年前の6月6日でお陰様で元気に過ごしてます。これからもよろしくお願いします。

ほろ苦い思い出

ペンネーム:たんたん

私と京王プラザホテルとの出会いは、今から約40年前。幼い私が、母に連れられて新宿を歩いていると、唐突に、母が「ホテルの中に入ってみようよ」と言い出したのです。当時、貧しかった私たちは、もちろん「ホテル」などというものには縁がなく、恐らく興味本位でのこと。意を決した私たちが京プラに入ると、その内部の豪華さに気後れしてしまい、慌てて外に飛び出したことを「ほろ苦い思い出」として覚えています。その後、社会人となった私は、良き伴侶とも出会って、あこがれの京プラで結婚式を挙げたのです。それ以来、結婚記念日には、たびたび宿泊、緑川シェフのフレンチを堪能しました。家族の誕生日に利用するデュオフルシェット、かがりのひな祭りランチ、ポピンズのクリスマスケーキ。人生の節目やイベントにはいつも京王プラザホテルがありました。幼い頃、初めて入ったホテル。それから不思議な縁が、そこにはあるように思えてなりません。開業50周年おめでとうございます!

家族の集まる場所

ペンネーム:下島

父は開業当初から定年退職をするまでずっと新宿京王プラザに勤めていました。泊まりの多いホテルマンだったので、週末いないことも多々ありました。でも、そんな事も感じないくらい父の仕事場で家族や親戚が集まり、仕事をしている姿を見れることは私にとって、とても誇らしい事でした。七五三、成人式、結納と大事なイベントも京王プラザで過ごしているので、私も京王プラザと共に時を刻んできました。ずっと勤めていた父の定年祝いも父の思い入れの深い南園で家族でお祝いをしました。その後なかなか行くことが出来ず過ごしてましたが、50周年記念誌に入社当初の父が載っているのを見て、感激し今年の父の命日は南園に集まろうと子供達で話しました。今後自分の子供たちの思い出も京王プラザに残していきたいと思います。

お見合いで通い続けた場所が夫婦憩いの場所に

ペンネーム:のんびり列車

独身の頃、結婚相談所に入っていた私は、毎週のように京プラに通い何十人とお見合いをした。なかなか結果が出なかったが、そんな私にも遂に結婚してくれそうな人が現れる。デュエットで初めてお会いし、デートを重ね、夜の都庁がきれいに見えたポールスターでプロポースに成功した。

結婚式はもちろん京プラ。5階チャペルで式を挙げ、コメットで披露宴。スターライトで1.5次会と、とても忙しく、しかし、とても充実した楽しい1日を過ごした。

結婚後は夫婦憩いの場所となり、旅行の宿泊や誕生日プランで利用したり、レストランで食事をしたりして楽しんでいる。ポールスターがなくなったのは残念だが、プロポーズの思い出は私の中で色褪せることなく残り続ける。京プラ50周年、これからも挑戦を続ける京プラを応援したい。そして、京プラでの思い出作りはまだまだ続く。

人生の喜びはいつも

ペンネーム:秋田リズ

コロナで上京できない日々に、時折浮かぶオムレツを作ってくれるグラスコートのシェフの笑顔、都会の人々の早いテンポの動きを眺めながら珈琲を飲む樹林での至極の時。45年前、互いに上京し、憧れていた最上階のレストランへ誘ってくれた婚約者が、チンプンカンプンのメニューボードと店内のゴージャスさに圧倒され「食べたい物ない」と怪訝な顔の私に回れ右させた初めての京王。

東京の大学に進んだ娘達の入学、卒業式、結納、孫の雛祭等、何度嬉しい時を過ごさせていただいたことでしょう。孫が夜中に、ベッドの横で嘔吐してしまった時のスタッフの方々の対応は、シンデレラの魔法のごとく素早く、その上脱水症状を心配し、飲料水を数本準備して下さいました。この次の京王は、会えずじまいでいる娘家族と、7月に誕生予定のオリンピックベビーのお食い初めの喜びとなりますように。

娘の大好きなホテル

ペンネーム:ちゃーさん

私の娘は、先天性心臓病で、2歳から東京女子医大に、その先生が退職でNSビルに移っても通院していて、通院の時は、東京に住む母が京王ホテル会員だったので、私達は自宅が名古屋なので京王ホテルに宿泊して、ホテルライフを楽しんでいました。娘は19歳でこの世を去り、母も亡くなり、今は私が会員になり、従姉妹や同級生と女子会をしたり、孫と一緒に宿泊して、東京の我が家です。

私と京王プラザの半世紀

ペンネーム:(無記名)

京王プラザと私は同じ昭和46年生まれ、新宿に程近い京王沿線に住んでいたこともあり、子供の頃、催しに親と来たのが初めて記憶である。キラキラしたロビー、滝の流れるラウンジの瓶のコーラが今も印象に残っている。
時は流れ、新宿に勤め、結婚式を挙げ、昇進祝いには大人を気取ってブリアン、父の退職祝いには天麩羅しゅん、妻とのイルミネーションナイト宿泊も印象深い。次は来年、娘の七歳の七五三に家族三世代、南園で愉しみたい。
振り返ると私の人生半世紀、節目には京王プラザホテルがあり、これからもよろしくお願いしたい。

亡き母と京プラの思い出

ペンネーム:たかぴーさま

1971年高円寺生まれの僕は京プラと同い年。当時、住んでいた都営アパートからは西新宿の高層ビル群が見渡せた。そして亡き母は浅草生まれ。かつては新宿、渋谷、池袋は田舎で浅草、銀座が東京だよとよく言っていた。そんな母が父と見合いし新居に選んだのが、新宿へ一本で出れる高円寺。かつて、母が漏らしていた言葉。「京王プラザができるって聞いた時は心が躍ったわ」「京王プラザが見えなきゃ東京じゃない!」そんなきっかけもあり浅草からこの地を選んだんだようだ。おそらく激動の昭和を生き抜いた人々にとって、京王プラザホテルは、新たな東京の指標であり、アイコンであり、成功の証だったんだと確信する。きっとこれからの人生においても切っても切り離せない場所となるだろう。
なんといっても、ここへ来ると母に会える気がするからだ。

大願成就

ペンネーム:うーたんさま

京王プラザホテルは、プロポーズをした想い出の場所です。夜景の綺麗なバーが好きで、学生時代に“三角ビル”でよく飲んでいました。
都庁ができた頃です。当時“京プラ”は高嶺の花で、「社会人になったら“京プラ”で飲む」と希望を抱いていました。
大願成就、初任給を手に向かった“京プラ”45階のバー。何を飲んだか、覚えていません。ただ夜景が綺麗で、客もスタッフも輝いて見えた記憶。その時「プロポーズは、ここで!」と決心し、遅咲きの38歳、窓際の二人席で告白し2回目の大願成就。
今でも妻は「私がお酒ダメなのにバーで告白って、どうなの?」と。身勝手な初志貫徹でしたが、家庭内に笑顔の花咲く日々に、それも許された思いです。息子はもう中学生。7年後、“京プラ”のバーで一緒に成人を祝うのが今の楽しみです。50周年の“京プラ”に、歩みの近い我が51年の人生が重なります。

Proposal

ペンネーム:Bronwen

 In August 2010, my boyfriend and I were wandering around Shinjuku looking for somewhere to drink and stumbled across the Keio Plaza Sky Bar. A few hours later, out of the blue, my boyfriend proposed (after 12 years together!)
We have returned several times since, and took our daughter in 2018 for her first stay. We are due to visit again this year for three nights for our 10 year wedding anniversary - but it looks like we will have to postpone. So many happy memories!

京王プラザホテルは私達夫婦の特別な快適空間

ペンネーム:南天太郎さま

 私たち夫婦は今年4月16日に結婚記念50周年を迎えました。妻の結婚前の住まいは現在の西新宿。京王プラザホテルの超高層ビル建設現場を仰ぎながらのデートは新宿中央公園。子供が生まれ高尾から多摩センターに転居した1980年の10年後には期せずして駅前に京王プラザホテル多摩が開業。それ以来、我が家にとってそこはお食事のできる快適空間。仕事でも宴会場やデュエットを良く使わせていただいた。

一番の思い出は5年前の新宿京王プラザホテルのデュオフルシェット。妻と楽しんだパスタ・ランチ。それは我が家の住宅設計仕様検討会帰りの老夫婦二人だけのひと時。初めての新築住宅建設に期待と夢を胸に話が弾みそんな幸せな時間と快適空間を私たちに何度も与えてくれた。

先日はコロナ禍二人だけの金婚式を「あしび」で祝った。このようにこれまでの50年、そしてこれからも京王プラザホテルは私達夫婦の思い出多い特別な快適空間であり続けるでしょう。

素敵なお部屋と夜景

ペンネーム:伽羅さま

16~7年前に東京へ一人癒し旅で宿泊。その頃流行りの六本木ヒルズなどを観光し夕方にホテルへ。そこでフロントで「お部屋をクレードアップ致しました。」と言われ、通されたお部屋が、人生初の高層階のツーフロアのお部屋。あまりの素敵なお部屋に感動。そして窓から見える夜景に感動。翌朝の朝食の和食も美味しく頂きました。ホテルで充実した時間を過ごしたことで、仕事の激務で疲弊していた心が癒され、また仕事頑張ろうという気になりました。本当にありがとうございました。

違う日常を味わえる場所

ペンネーム:(無記名)

レコード探しに誘われて、新宿西口に出ました。その小さな店はとても混んでいたので、外のワゴンの中を探しました。道路の向こうから、ずっと重機の音が聞こえていました。探していた曲は思い出せないけれど、忙しく手を動かしながら「あそこ、すっごく高いホテルができるらしいよ」と言った友人の声を、覚えています。
翌朝伊勢志摩への新婚旅行に出る1972年2月19日、京王プラザホテルの部屋の窓に浮かぶ大きな丸い月が、綺麗でした。
近畿東海地方で暮らした後に関東に戻ってカルチャー教室に通った16年間、いつも「樹林」のコーヒーを楽しんで帰りました。
けがをして今はパワー不足の夫ですが、いつか二人で京王プラザホテルの美味しいワインとお料理を頂きに行こうと思っています。